15番 観音寺(かんのんじ) | ||||
正式名 | 新那智山 観音寺 通称:今熊野観音寺 | |||
本尊 | 十一面観世音菩薩 | |||
開基 | 弘法大師 | |||
創建年 | 天長年間(824〜834) | |||
住所 | 京都市東山区泉涌寺山内町32 | |||
電話番号 | 075-561-5511 | |||
URL | http://www.kannon.jp/ | |||
その他 | 真言宗泉湧寺派 | 納経 | 御姿 | 散華 |
御詠歌 | 昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり |
由 来 | |||
観音寺は825年頃(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創された。 西国三十三所第十五番霊場、厄除開運の寺として知られ、特に頭痛・病気封じ・智恵授かりの霊験あらたかな本尊として広く信仰され、又ぼけ封じ観音第一番霊場・洛陽観音第十九番霊場ならびに京都七福神巡りの恵比須神をおまつりする寺として、全国から祈願の参拝者が絶えない。 |
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泉涌寺の塔頭 観音寺 | |||
泉涌寺参道から左に折れて観音寺に入る。 | |||
入口道標 | 入口 | ||
観音寺と泉涌寺の間の、今熊野川にかかる鳥居橋。 | |||
配置図 | 参道 | ||
古くから、この地には熊野権現社が鎮まっていたので、橋の名前の由来となったとも言われている。 | |||
鳥居橋 | 入口門 | ||
入口を入ると、左手に立派な三階建ての大講堂がひときわ目を引く。 おもに当山で行われる法要・行事や、檀信徒の方々の法事などの際に使用される。 観音寺の縁起が描かれた案内板もある |
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大講堂 | 縁起 | ||
鳥居橋をわたって境内に入ると、大切な子供たちを護り育ててくれるといわれる「子護弘法大師」がある。 | |||
手水鉢 | 子護弘法大師 | ||
金龍大弁財天・・・池の近くにて金色の巳(蛇の神)さまがお姿を現わされ、そこでお祀りされたのがこの「金龍弁財天」。 鐘堂・・・鎮守社の南側にあり、毎年大晦日には、百八の除夜の鐘が突かれる。 |
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金龍大弁財天 | 鐘堂 | ||
熊野権現社・・・鎮守社として「稲荷社」とならんで鎮座されている。 | |||
三大神社 | 熊野権現社 | ||
稲荷社・・・鎮守社の一つであり稲荷明神をお祀りしている。 五智水・・・弘法大師が熊野権現の霊示に従い、錫杖で掘ったところ霊泉が湧き出したといわれている。 |
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稲荷社 | 五智水 | ||
本堂・・・現在の観音寺本堂が建っている場所には、かつては奥の院順礼堂があったと伝えられている。 弘法大師が熊野権現とお出会いになられた、最も神聖なる場所にあたるす。 正徳2年(1712)に、宗恕祖元律師によって建立されたものである。 |
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香炉 | 本堂全景 | ||
大師堂・・・当山を開創された弘法大師をお祀りしているお堂で、不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像もお祀りされている。 | |||
本堂 | 大師堂 | ||
ここは、普段護摩の修法が行われ、また修行僧の修行道場として使用されることもある。 | |||
大師堂全景 | 大師堂内 | ||
「霊光殿(れいこうでん)」納骨堂・・・当山檀信徒のための納骨堂で、台座の上には阿弥陀如来が鎮座されている。 | |||
地蔵尊 | 納骨堂 | ||
この塔は「医聖堂」と呼ばれ、日本の医学の発展に貢献した人々を祀っている。 昭和59年(1984年)に完成したとのことである。 |
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多宝塔全景(医聖堂) | 医聖堂 | ||
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平安時代の永観二年(984年)、医師二人によって「医心方」30巻が朝廷に献上された。 「医心方」は我が国の医学の源流を示す。 |
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医心方石碑と記念として | 医聖堂前 | ||
2013年11月17日紅葉まつり |
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紅葉まつり | 紅葉まつり | ||
大講堂より | 大講堂より | ||
多宝塔の登り口には西国33観音が続いている。 | |||
大師堂 | 多宝塔の登り口 | ||
紅葉まつり | 多宝塔を望む | ||
1996年の大師堂 |
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1996年11月 | 1996年11月 | ||
泉涌寺へ |